その子が見ている世界を
「子どもが好きなんですね」と言われることがある。先生をしているから。
誰でも、口では「子どもが好き」と言える。ぼくも言う。悪い気もしない。でも、ほんとうに好きかどうかは、たぶん、言葉ではないところで、分かってしまうものだ。
口では、誰でも言える
「子どもが好き」は、ときに、先生の資格のように語られる。あたたかで、まぶしい言葉。でも、その言葉は、ときにとても軽くなる。
「好き」という言葉だけでは、気持ちは、測れない。
ほんとうのほんとうのところで
では、何で分かるのか。ずっと考えてきて、いまのところ、こう思っている。
——ほんとうのほんとうのところで、その子が見ている世界を、見ようとするかどうか。
こちらの世界に引き寄せて、「わかったとする」のではない。ぼくの正しさを「教えこむ」のでもない。その子の側に立って、その子がいま、何を見て、何を感じているのか。同じ景色を、その子の場所から、見ようとする。
子どもには、分かる
そして、これは、ごまかせない。
子どもは、驚くほど感じている。この先生は、自分の世界を見ようとしてくれているのか。それとも、ただ、うまく扱おうとしているだけなのか。見ようとしているふりは、わかる。
だから、ほんとうに好きかどうかは、言わなくても、伝わってしまう。こちらが思っている以上に。
見ようとしただろうか
「子どもが好き」という言葉は、とりあえず横においておきたい。
その代わり、一日の終わりに、そっと自分に問いたい。——今日、あの子が見ていた世界を、ぼくは、見ようとしただろうか。
ほんとうのほんとうは、たぶん、そこにしかない。