せんせいのしごと
教室の日々のなかで、ぼくが考えたこと。ゆっくり、ひとつずつ。
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こどもは、ファンタジーのなかを生きる
絵本を読んでいる子どもの顔を、すぐそばで見ていると、感じることがある。その子は、いま、物語のなかにいる。ページの向こうの世界を、ほんとうに生きている。子どもにとって、空想は、つくりものではない。
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想いのながれ
おなじ川なのに、場所によって、ぜんぜん、ちがう。でも、すこし、ひいて、川ぜんたいを見れば。すべての水は、おなじ方向へ、流れている。海へと、向かって。こどもを想う、ぼくたち大人も、おなじなんじゃないか。やり方は、ちがっても。向かっている海は、おなじ。こどもの、ゆたかな生、という海へ。
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目をとじて、手をにぎろう
10年が、経った。あの子たちと、過ごした日々から。あのころ、ぼくは、あの子たちの「未来」を、いっしょうけんめい、描いていた。でも、それは、ぼくの見ている未来だ。その子自身の未来とは、ちがう。じゃあ、先生は、何を、みつめればいいんだろう。そうだ。目を、とじよう。そして、手を、にぎろう。
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得るものと、失うもの
教育によって、こどもは、たくさんのものを、得ていく。でも、得ているとき、同時に、何かを、失ってはいないだろうか。そもそも、教育は、社会のなかで生きていく「ため」のいとなみ。得るものを、よろこびながら、同時に、こぼれ落ちていくものにも、目をこらす。その、両方の目を、もっておくこと。
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怒るの嫌
怒らないように、と何度も、自分に言い聞かせた。でも、感情の波は、こちらの都合など、おかまいなしに、押し寄せてくる。せんせいも、人間だ。感情が出ること、それ自体が、悪いわけではない。ただ、こどもの育ちとは関係のない、大人の都合の波は、避けたい。どうしたら、いいんだろう。ずっと、向き合いつづけること。それが、大切なのかもしれない。
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糸を、たぐる
せんせいのしごとには、こどもに、まっすぐつながらないことも、たくさんある。なかには、つながっていると思っているだけ、のものもある。その先には、もう、こどもは、いない。全部いらない、とは思わない。でも、こどもとつながっていないものは、注意深く、糸を、たぐっていかないといけない。それも、せんせいの省察なのだと思う。
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こつこつが、こつ
せんせいというしごとは、とにかく、締切が多い。でも、大切なのは、締切を意識することじゃない。いつやるのか、を決めること。ゴールテープは、ほんとうの締切の、だいぶ前に。大きな仕事ほど、小分けにして、ステップ・バイ・ステップ。いっぺんに片づけようとしない。毎日、すこしずつ。こつこつが、こつ。
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分かる、たびに
子どものころ、海の音を、ただ、きいていた。いまは、「波の音だ」と、すぐに分かる。分かって、通りすぎる。頭で分かるたび、ぼくは、何かを、忘れていっている気がする。分かることで、見えなくなるものが、たくさん、ある。風の声。海の唄。星の、ささやき。分かることの、すこし手前で。
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内へ、向かう時間
元気なあいさつ。元気な返事。元気いっぱい、笑顔いっぱい。どれも、すてきなこと。でも、そうじゃないことも、たくさんある。そして、その「そうじゃないこと」も、とても、すてきなこと。学校は、どうも、外へ向かう力が、強い。自分の心に、ひたる時間。ぼくは、そういう時間を、大切にできる教室にしたい。難しいかなあ。
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その子の、分かり方
ひとりの子が、ぼくの教えたやり方とはぜんぜんちがう方法で、問題を解いていた。ぼくは、どうしても、自分の見ている世界から、こどもを見てしまう。でも、本当の意味で、その子が分かるということ。それは、ぼくの世界に、その子を連れてくることじゃない。その子の世界のほうへ、ぼくが、歩いていくことなのだと思う。難しいなあ。