得るものと、失うもの
こどもが、何かを、できるようになる。
字が書けた。計算が解けた。発表ができた。——そのたびに、ぼくは、うれしくなる。こどもも、ほこらしげだ。教育によって、こどもは、たしかに、たくさんのものを、得ていく。それは、まちがいない。でも、ふと、思うことがある。得ているとき、同時に、何かを、失ってはいないだろうか、と。
「ため」の、いとなみ
そもそも、教育というのは、「ため」のいとなみだ。
社会のなかで、生きていくため。きちんと、やっていけるため。ルールを守れるため。役に立つ力を、身につけるため。——教育は、どうしても、この「ため」という要素を、強くふくんでいる。もう、すでに、描かれている社会。その絵のなかに、こどもが、うまくおさまって生きていけるように。それが、教育の、大きな仕事のひとつだ。
それは、大切なことだ。社会のなかで生きていく力は、たしかに、こどもを、守ってくれる。でも——その「ため」のなかで、こぼれ落ちていくものも、ある気がする。
輝く場合と、そうでない場合
ぼく自身の、内で生きている、大切なもの。
うまく言葉にならない、その子だけの感じ方。へんてこかもしれない、その子だけの発想。ゆっくりな、その子だけのリズム。——そういうものが、教育のなかで、ゆたかに、輝く場合もある。「それでいいんだよ」と、育てられて、もっと、のびていく。
でも、そうでない場合も、ある。「ため」の型に、合わないからと、そっと、ならされていく。けずられていく。社会の絵に、うまくおさまるように。——得るものの、かげで、その子の内なる何かが、しずかに、失われていくことも、たしかに、あるのだと思う。
前提に、もっておく
だから、と思う。大切なのは、たぶん、このことを、前提に、もっておくこと。
教育は、得るものが、あるぶん、失われるものも、ある。——それを、わすれないでいること。「教育は、すべて、こどものため」。そう、盲目的に信じてしまうと、失われていくものに、気づけなくなる。得るものを、よろこびながら、同時に、こぼれ落ちていくものにも、目をこらす。その、両方の目を、もっておくこと。
両方を、見ながら
得るものと、失うもの。その両方を、天秤にかけて、答えを出したいわけではない。
どちらが大きいか。教育は、よいのか、わるいのか。——そういう話ではない。ただ、両方が、いつも、ある。その前提を、胸の、どこかに、置いておく。そうすれば、ぼくは、こどもに、何かを「得させる」とき、すこし、慎重になれる。この子が、いま、得ているものの、かげで、何か大切なものを、失ってはいないか、と。
教育は、「ため」のいとなみ。でも、その子の内で生きているものを、できるだけ、けずらないように。得るものと、失うもの。その両方を見ながら、ぼくは、今日も、こどものとなりに、立っている。