怒るの嫌
今日も、何度も、自分に言い聞かせた。怒らないように、と。
つまらないことで怒る、そんなせんせいには、なりたくなかった。でも、感情の波は、こちらの都合など、おかまいなしに、押し寄せてくる。ぐっと、こらえる。こらえきれずに、声が、とがる。——ああ、また、だ。帰り道、すこし、うなだれる。
理由を、つけて
正直に言えば、ぼくは、自分を、なぐさめていた。
これは、指導だ。怒っているわけじゃない。ちゃんと、伝えるために、言っているんだ。——そうやって、いろいろ、理由をつける。たしかに、半分は、ほんとうだ。でも、半分は、たぶん、言いわけだった。些細なことで、おなじ注意が、くりかえされていく。その底のほうに、ぼくの、ざらりとした感情が、あったことを、ぼくは、知っている。
せんせいも、人間
せんせいも、人間だ。
当たり前のことだけど、これが、むずかしい。いつも、おだやかで。いつも、公平で。いつも、笑顔で。——そんなふうには、いられない。ぼくにも、虫の居所のわるい日がある。うまくいかなくて、いらだつ日がある。感情が、動く。波が、立つ。それは、人間として、しぜんなことだ。感情が出ること、それ自体が、悪いわけでは、けっして、ない。
避けたい、波もある
ただ、それでも、思う。避けたい波も、ある、と。
こどもたちの、ゆたかな日々に、つながっていく感情なら、いい。うれしさも、くやしさも、真剣さも。——でも、そうじゃない波もある。ぼくの、その日の機嫌。ぼくの、勝手な苛立ち。こどもの育ちとは、何の関係もない、大人の都合の、感情の波。そういうものに、こどもを、まきこみたくない。それだけは、避けたい。ぼく自身が、いちばん、嫌なのだ。そういう自分の、感情の動きが。
どうしたら、いいんだろう
どうしたら、いいんだろう。
正直、答えは、ない。怒らない方法、なんてものは、たぶん、ない。あったとしても、それは、感情に、ふたをするだけだ。おさえこんだ波は、いつか、もっと大きくなって、返ってくる。——だから、方法を、さがすのとは、ちがう気がする。ぼくにできるのは、たぶん、ただ、向き合うこと。くらいしか、ない。
今日、自分は、何に、いらだったのか。その波は、どこから、来たのか。こどものためだったのか、自分のためだったのか。——帰り道、しずかに、ふりかえる。それくらいしか、できない。
向き合い、つづける
でも、と、このごろ思う。もしかしたら、それでいいのかもしれない。
ずっと、向き合うことしか、できない。解決も、しない。来年も、再来年も、ぼくは、おなじ波の前で、うなだれているかもしれない。——でも、向き合うのを、やめないこと。ごまかさず、美化もせず、自分の感情を、見つづけること。それ自体が、たぶん、大切なことなのだ。
波は、消えない。でも、波を見つめる目は、すこしずつ、育っていくかもしれない。うまくは、なれなくても。向き合いつづける、その日々のなかで。ぼくは、きっと、そうやって、せんせいを、つづけていく。