こどもといるって、ふしぎ
卒業していった教え子に、会うことがある。すっかり大人になっている。正直に言うと、はじめの一瞬、誰だか分からない。別人かと思うくらい、顔が変わっている。
でも、少し話しているうちに、不思議なことが起こる。
小さい頃の顔が、にじみ出てくる
大人びた今の顔の、その奥から、小さかったころの面影が、にじみ出てくるのだ。しみ出す、という感じに近い。ああ、あの子って。
新しい顔の上に、昔の顔が、重なってくる。消えてしまったと思っていた、あの教室の、あの席の顔が。過ぎ去ったはずのものが、過ぎ去っていなかった。今の顔の中に、ちゃんと、まだ在る。
今の顔に、過去も、未来も
同じことは、目の前の子どもにも起こる。
ある子の顔を見ていて、ふと、その子が大人になったときの顔が、うっすら見えるような気がする瞬間がある。まだ来ていないはずの未来が、もう、今の顔に、かすかに差している。赤ちゃんだったころの顔も、どこかに残っている。
過去も、今も、未来も、一つの顔に、いっしょにある。うまく言えないけれど、そういう、不思議な瞬間が、たしかにある。
時は、まっすぐには流れていない
時計の時間なら、こうはならない。過去は過ぎ去り、未来はまだ来ない。時は、直線で、一方通行で、後戻りしない。科学の時間は、そういうふうに、きれいに流れる。
でも、子どもの顔の前では、その流れ方が、通用しない。過去は過ぎ去っていないし、未来は、もう少し、来てしまっている。時は、みんなが思う時間のようには、流れていない。
こどもといるって、ふしぎ
このことを、ぼくは、子どもに教えられる。
大人だけの世界にいると、つい忘れてしまう。時間は、まっすぐで、一方通行なのだと。でも、子どものそばにいると、そうではないことに、気づかされる。過去も未来も、今、ここに、そっとたたまれている。
こどもといるって、ふしぎだ。そのふしぎに、毎日、少しずつ、教わっている。