プロフィール

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SENSEI NO SHIGOTO

教室で子どもたちと過ごしてきた日々のなかで、考えたことを書いています。ゆっくり、ひとつずつ。

記録の中に、子どもはいない ―ともにいる時を―

先生の仕事で、自分がいちばん力を出したいのは、いつだろう。

当たり前のことだけれど、それは子どもといるとき。そこで、いちばん整っていたい。——でも、その当たり前が、案外むずかしい。気づくと、子どものいない時間のほうに、いちばん力を注いでいることがある。

何に力を向けるのか

書類。記録。会議。段取り。まじめな先生ほど、そういうものに、まっすぐ力を注ぐ。悪いことではない。どれも、たしかに仕事だ。

でも、いちばん力を出すべき時間はどこか、を見失うと、子どもの前に立ったときには、もう疲れきっている。がんばる場所を、少し、まちがえている。

何が大切なのかを見極める。地味だけれど、これも、仕事をするうえでの、大きな仕事なのだと思う。

記録の中に、子どもはいない

はっきり、書いておきたいことがある。

記録の中に、子どもはいない。指導案と呼ばれる計画の中にもいない。大人の理屈の中にも、子どもはいない。そこにあるのは、子どもについての、言葉や、数字や、見通しだ。子どもそのものは、いつも、その外にいる。

記録は要る。計画も要る。捨てられない。でも、それに囚われたとき、ぼくは、いちばん見たいものを、見失う。——そのことに気づくと、少しだけ、大切なものが、見えてくる気がする。

大人だから、見えるのではない

そして、これは、先生だけの話ではないのだと思う。おとなみんなに、言えることかもしれない。

大人になったから、年をとったから、大切なものが急に見えるようになる。——そんなことは、ない。むしろ、逆のことも起こる。昔は見えていたものが、いつのまにか、見えなくなっていることがある。見る力は、年齢といっしょに、勝手には育たない。

ほんとうのほんとうは、なかなか見えない

せんせいのしごとは、たぶん、日々のくらしのなかで、その「ほんとうのほんとう」を感じられるかどうか、にかかっている。

でも、困ったことに、その「ほんとうのほんとう」は、なかなか見えない。見えた、と思った次の日には、また見えなくなっている。その、見えたり見えなくなったりを、くりかえしている。

だから、これで分かった、とは、いつまでも言えそうにない。ただ、見えていない、ということだけは、知っていたい。たぶん、そこからしか、始まらないから。