プロフィール

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SENSEI NO SHIGOTO

教室で子どもたちと過ごしてきた日々のなかで、考えたことを書いています。ゆっくり、ひとつずつ。

銀河鉄道の夜のこと

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が、好きだ。何度も、何度も読んだ。

読むたびに、切ない。でも、その切なさのなかに、いつも、こどものゆたかな「生」を感じる。うまく言えないのだけれど、悲しいのに、どこかあたたかい。そういう不思議な読後感が、ずっと残る物語だ。

切なさのなかに

ジョバンニは、たくさんのものと出合う。星に、野の花に、川の水に。見ず知らずの鳥捕りに、船で亡くなった青年と姉弟に。そして、なにより、親友のカムパネルラに。

その一つ一つの出合いが、静かで、やさしい。ジョバンニは、目の前の相手を、ただ、まるごと感じている。鳥捕りのために「百年でも鳥をとってやってもいい」と思ってしまうくらい、相手の「生」のなかに、入っていく。

けれど、旅の終わりに、ジョバンニはカムパネルラと別れる。いちばん大切な友を、失う。別れは、つらい。悲しい。読むたびに、胸が締めつけられる。

悲しみを、そっとケアする世界

それなのに、この物語は、悲しみだけで終わらない。

賢治は、その悲しみを、そっとケアするように、世界をひろげてくれる。銀河の光、りんどうの花、天の川の水音。ジョバンニの悲しみを包むように、うつくしい世界が、どこまでも広がっている。悲しみが、消えるわけではない。ただ、その悲しみが、大きな世界のなかに、そっと抱かれている。

読み終えたあと、少しだけ、救われている。あのふしぎな感じは、たぶん、これなのだと思う。

出合いと、別れと

「銀河鉄道の夜」には、子どもが世界と出合うということ、大切なひとと出合うということ、そして、その人と別れてもなお、共に在るということ——他者とともに生きる、そんな子どものゆたかな「生」が、描かれているように思う。

だからこの物語は、読むたびに、こちらの「今」に合わせて、違う顔を見せる。子どものころに読んだときと、誰かを見送ったあとに読んだときとでは、まるで違って響く。何度も読んでしまうのは、きっと、そのせいだ。

もっと、ゆったり

ずいぶん前に、この作品を教材にして、授業をしたことがある。

子どもたちと、あの銀河の旅をたどった。それはそれで、いい時間だった。でも、いま思うと——もっと、ゆったりと、味わう授業ができたらよかったな、と思う。

急いで読み解こうとしなくてよかった。ここは何を表しているか、作者の意図は何か。そういうことは、少し脇に置いて。ただ、あの星空の下を、子どもたちといっしょに、ゆっくり歩けたら。りんどうの花で、立ち止まれたら。カムパネルラがいなくなった席を、しばらく、黙って見つめられたら。

物語は、答えを出すために読むのではない。味わうために、そのなかを生きるために読む。あのころの自分に、それを伝えられたらいいのだけれど。

また、読もうと思う。今度は、ただ、ゆっくりと。