くちびるを、噛んだ
運動会の、開会式。
みんなの前で、マイクの前で、あの子が立っていた。代表のあいさつ。緊張した面持ちで、少し、うつむいて。
くちびるを、噛んだ
話し始める、その直前。あの子は、くちびるを、軽く噛んだ。
ほんの一瞬のことだった。たぶん、誰も気づいていない。でも、その次の瞬間、あの子は顔を上げて、素敵な表情で、話し始めたのだ。しっかりと、自分の言葉で。
ぼくは、あいさつの中身より、あの、くちびるを噛んだ一瞬を、よく覚えている。あの子が、自分の中の緊張を、ぐっと引き受けて、前へ進もうとした、その小さな瞬間を。
なんだろう
不思議だ。
あとになって思い返すと、心に残っているのは、いつも、こういうところなのだ。うまくできた結果でも、立派なあいさつの言葉でもなく、その手前の、ほんの些細な、表情や、仕草。
くちびるを噛んだ、あの一瞬。友だちの言葉に、ぱっと目を輝かせた、あの顔。何かを言いかけて、やめた、あの間。——なぜだろう。どうして、そんなささやかなところばかりが、ぼくのなかに、のこっているのだろう。
心が、動いたとき
たぶん、それは、子どものこころが、動いた瞬間だからだ。
大きな出来事でなくていい。成功でも、失敗でもない。ただ、その子のこころが、たしかに、動いた。ゆれた。ふるえた。——その、目には見えないほどの小さなうごきが、いちばん外にあらわれるのが、ほんの些細な、表情や、仕草なのだと思う。
だから、ぼくは、そこをよく見ているのかもしれない。言葉になる前の、点数になる前の、その子の、いちばん正直なところを。くちびるを噛んだ、あの一瞬に、あの子の「生」が、まるごと、あらわれていたような気がするのだ。
日常のなかに
だから、と思う。
大切なことは、きっと、特別な日の、特別な場面にだけ、あるのではない。むしろ、なんでもない一日の、ふとした表情や、小さな仕草——そんな、ささやかな日常のなかにこそ、いちばん大切なものが、そっと宿っている。
見のがしてしまいそうな、小さなうごき。でも、そこにこそ、その子がいる。ぼくは、そう想っている。
だから、今日も、見ていたい。派手なところではなく、その、くちびるを噛むような、ささやかな一瞬を。それを見のがさないでいられたら、せんせいのしごとは、それだけで、じゅうぶんなのかもしれない。