プロフィール

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SENSEI NO SHIGOTO

教室で子どもたちと過ごしてきた日々のなかで、考えたことを書いています。ゆっくり、ひとつずつ。

こどもが、つくる教室

たくさんの教室を、みてきた。

うつくしい教室。掲示物は、みんな同じ大きさの色画用紙。まっすぐに、等間隔で、貼られている。字の大きさも、そろっている。ひとつの乱れもない。——きれいだな、と、たしかに思った。でも、しばらく見ていて、ふと、さびしくなった。

そろっている、ということ

そろっている教室は、気持ちがいい。整っていて、清潔で、ちゃんとしている感じがする。

学校には、そういうものを大事にする空気がある。掲示のしかたを、そろえましょう。使う色を、そろえましょう。言葉づかいを、そろえましょう。——決して、悪気があるわけじゃない。先生たちの、ていねいにやりたいという思いがある。学校として、きちんとしたいという気持ちもある。ぼくにも、その気持ちは、よく分かる。

でも、と思う。ほんとうに、それが「ちゃんとしている」ということなのだろうか。

だれが、つくったのか

教室を見わたして、ぼくは、ときどき、こう問うてみる。この教室は、だれがつくったのだろう、と。

先生が選んだ紙。先生が決めた掲示。先生が用意した言葉。——そういうものに、ぐるりと囲まれた教室。そこに座っているのは、こどもたちだ。でも、その教室の景色を、こどもたちは、ひとつも、つくっていない。

決められた紙、決められた掲示物、決められた言葉。決められたものたちに囲まれて、こどもたちのうちには、いったい、どのような想いが生まれ、育まれていくのだろう。「ここは、だれかが決めた場所だ」。「ぼくは、ここに、ただ座っている」。——そんな感覚が、知らないうちに、からだにしみこんでいきはしないだろうか。

こどもの手で

ぼくが見たい教室は、たぶん、もっと、でこぼこしている。

字の大きさは、ばらばらだ。まっすぐ貼れていない紙もある。色も、そろっていない。だれかの絵が、はみ出している。——でも、その一枚一枚を、こどもが、自分の手で、つくった。ここに貼ろう、と、自分で決めた。そういう教室。

そこには、乱れがある。けれど、その乱れのなかに、たしかに、生きている気配がある。「この教室は、ぼくたちのものだ」。「ここは、ぼくたちがつくっている」。——そういう想いが、その、でこぼこのなかから、静かに立ちあがってくる。

ちゃんと、って

ちゃんとしている、とは、なんだろう。

そろっていること。整っていること。乱れがないこと。——たしかに、それも、ひとつの「ちゃんと」だ。でも、こどもが、自分たちの手で、自分たちの場所をつくっていく。すこし乱れていても、そのなかで、一人ひとりが、この場所を生きている。そういう「ちゃんと」も、あるのだと思う。

先生の思いに囲まれた、うつくしい教室。それも、わるくない。でも、ぼくは、こどもがつくる教室であってほしい、と思う。すこし、でこぼこしていても。そのでこぼこのなかに、こどもたちの、生きた想いが、宿っているような。そんな教室で、ぼくは、こどもたちと、一緒に立っていたい。