その子にしか
同じ空を、みんなで見あげていた。
休み時間、ふと、ひとりの子が「せんせい、くもがわらってる」と言った。ぼくには、ただの雲だった。でも、その子には、たしかに、わらっている雲が、見えていた。
その子にしか
その子にしか、見えないものがある。その子にしか、感じられないことがある。その子にしか、生きられない世界がある。
おなじ教室にいて、おなじ授業をうけて、おなじ空を見あげていても。そこに映っているものは、一人ひとり、ちがう。感じていることも、ちがう。だれかの見ている世界を、ほかのだれかが、そっくりそのまま見ることは、できない。その子の世界は、その子だけのものだ。
あたりまえのようで、ぼくは、このことを、ときどき、忘れそうになる。みんなに、おなじものを見せ、おなじことを感じてもらおうとして。
せかいは、ひとつじゃない
せかいは、ひとつだ。でも、ひとつじゃない。
空はひとつ。でも、その空に「わらう雲」を見る子もいれば、「これから雨がふりそうだ」と思う子もいる。なにも感じずに、通りすぎる子もいる。ひとつの空の下に、いくつもの空がある。ひとつの世界のなかに、いくつもの世界が、たしかに、ひらいている。
そして、そのどれもが、まちがいではない。その子が、その子の感覚で、その子だけの世界を生きている。ただ、それだけのことが、ほんとうは、とてもゆたかなことなのだと思う。
大地を、どう捉えるか
学校を考えるとき、ぼくは、そのスタートを、どこに置くだろう、と思う。
「みんなが、おなじものを、おなじように分かる」。そこを土台にすれば、学校は、ちがいをそろえ、ひとつに近づけていく場所になる。でも、「一人ひとりが、その子だけの世界を生きている」。そこを大地にすれば、学校は、そのちがいを、つぶさずに、ひらいていく場所になる。
おなじ学校でも、どんな大地の上に立てるかで、その姿は、まるで変わってくる。ぼくは、一人ひとりの世界が、その子のまま、そこにあっていい。そういう大地の上に、立ちたいと思う。
それでいいんだよ
ふしぎなことが、ひとつあった。
「その子にしか、感じられないことがある」。そう思ったとき、ぼくは、ぼく自身のことも、思い出していた。せんせいとしてのぼく。それから、子どもだったころのぼく。あのころ、ぼくにしか見えなかったもの。ぼくにしか感じられなかった、たくさんのこと。
それらは、だれかとおなじではなかった。うまく言葉にもできなかった。でも、「その子にしか」という、そのことを思ったとき、ぼくは、これまでのぼくの感じ方そのものが、どこかで、「それでいいんだよ」と、言われたように感じた。
子どもの世界を、その子のまま大切にしたいと願うことは、きっと、どこかで、ぼく自身の世界を、そのまま受けとることでもある。その子にしか、生きられない世界がある。ぼくにしか、生きられない世界が、あったように。——そう思うと、子どもたちの前に立つことが、すこし、あたたかくなる。