考える、その前に
ふと、空を見上げたとき。
その、あんまりの美しさに、はっと、心をうばわれることがある。理由なんて、ない。ただ、きれいだなあ、と。
魅せられる、ということ
子どもたちは、いつも、そうやって生きている。
空に、木々に、川の魚に、道ばたの虫に。——ふいに、足を止めて、じっと、見入る。魅せられる。「これは何のためか」「どう役に立つか」なんて、考えていない。ただ、目の前のものに、まるごと、心をうばわれている。
それは、頭で、ものを考える、その、ずっと手前の次元だ。理屈でも、意味でもない。ただ、世界に、ふれて、感じて、その美しさのなかに、生きている。生命に満ちた、「生」の次元。子どもたちは、いつも、そこを、生きているのだと思う。
考えれば、考えるほど
ぼくたち大人は、いつからか、その次元から、遠くなってしまった。
なんでも、頭で、考えるようになった。これでいいのか。あれはどうなるのか。ああすべきだった。こうすればよかった。——考えれば、考えるほど、なんだか、苦しくなっていく。ぐるぐると、同じところを、まわりつづけて。
もちろん、考えることは、大切だ。それが、いらない、というのではない。ただ、考えることばかりになって、いつのまにか、あの、空を見上げて「きれいだなあ」と感じる次元を、置き去りにしてはいないだろうか。頭のなかだけで、生きようとして、少し、疲れてはいないだろうか。
ほどいてくれる
そんなとき、子どもたちの、生きる次元が、ぼくを、そっと、助けてくれる。
夢中で虫を追いかける、その背中。空を指さして「見て!」と叫ぶ、その声。花の匂いをかいで、にっこり笑う、その顔。——それを見ていると、ぼくのなかで、かたく、こんがらがっていたものが、ふっと、ゆるむ。
理屈で、ほどこうとしても、ほどけなかったもの。それが、子どものとなりで、いっしょに空を見上げているうちに、いつのまにか、やわらかく、ほどけていく。子どもたちは、たぶん、知らないうちに、大人の、頭のなかの苦しみを、ゆるやかに、ほどいてくれているのだ。
いっしょに、見上げる
だから、と思う。ぼくたち大人にも、あの次元に、ときどき、立ち返ることが、必要なのかもしれない。
むずかしいことでは、ない。ただ、立ち止まって、空を見上げてみる。木々の緑に、目をやってみる。子どもが、何かに見入っていたら、その隣で、同じものを、いっしょに、見てみる。——それだけで、いい。
考えるより、前に。感じること。世界の美しさに、ただ、魅せられること。子どもたちが、あたりまえのようにしている、その「生」の次元に、ぼくも、そっと、立ってみたい。きっと、そこには、頭では、たどりつけない、やわらかな救いが、ある。