大事だと思う、そのことを
せんせいをしていると、「これは大事だ」と思うことが、たくさんある。
その、大事だと思うもの。——それは、たぶん、ほんとうに大事なものなのだと思う。でも、と、ふと立ち止まる。
ほんとうの、ほんとうは
たぶん、大事。でも、ほんとうのほんとうのところは、どうなのだろう。
ぼくが「大事だ」と思っている。その、思っていること自体は、ほんとうに、そうなのだろうか。ぼくの、これまでの経験や、慣れや、思い込みが、そう思わせているだけ、ということは、ないだろうか。
大事だと信じているものを、疑う、ということではない。そうではなくて、その「大事」を、もう一度、そっと、手のひらにのせてみる。ほんとうに、これでいいのかな、と。——その、静かな問いが、ぼくには、必要な気がしている。
大切に、問う
問う、というと、なんだか、冷たく聞こえるかもしれない。理屈で、あらさがしをするような。
でも、ぼくが思うのは、そういうことではない。むしろ、逆だ。大切に問う、ということ。自分がいちばん大事にしているものだからこそ、ていねいに、やさしく、それでいいのかと、たずねてみる。
大事にしているものほど、いつのまにか、「あたりまえ」になっていく。あたりまえになると、見えなくなる。だから、ときどき、立ち止まって、それを、もう一度、あたらしい目で、見てみる。それは、その「大事」を、もっと深く、大事にすることなのだと思う。
言い切らないこと
たぶん、いちばん気をつけたいのは、言い切ってしまうこと。
「これは、疑いようもなく、ほんとうのことだ」。「これが、いちばん大事なことだ」。——そう、きっぱりと言い切る自分に、ぼくは、少し、用心したくなる。
言い切った瞬間、そこで、問いが、止まってしまうから。もう、考えなくてよくなってしまうから。そして、その「言い切り」を、子どもたちに、そのまま手渡してしまいそうになるから。ほんとうは、まだ、分からないことだらけなのに。
問いのなかに、いる
だから、せんせいのしごとには、問い続けることが、いるのだと思う。
答えを、握りしめるのではなくて。「これでいいのかな」と、やわらかく、問いのなかに、居続けること。ゆれながら、迷いながら、それでも、目の前の子どもと、今日を生きること。
大事なものを、大事なままに、でも、あたりまえにはしないで。ときどき、そっと、問い直しながら。——そういうふうに、子どものそばに、いられたらいいなと思う。たぶん、それくらいが、ちょうどいい。