プロフィール

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SENSEI NO SHIGOTO

教室で子どもたちと過ごしてきた日々のなかで、考えたことを書いています。ゆっくり、ひとつずつ。

内へ、向かう時間

教室のうしろで、ひとりの子が、ぼんやりしていた。

みんなが、元気に手をあげているなか、その子は、窓の外を、じっと見ていた。「どうした?」と、聞きかけて、やめた。その子は、その子の、しずかな時間を、生きていた。何かを、心のなかで、そっと、味わっているように見えた。

元気いっぱい、のむこうに

元気なあいさつ。元気な返事。元気いっぱい、笑顔いっぱい。

学校で、よく聞く言葉。どれも、すてきなこと。ほんとうに、そう思う。元気な声が教室にひびくと、ぼくも、うれしくなる。——でも、と、ふと思う。そうじゃないことも、たくさん、ある。小さな声の日。うまく笑えない日。心が、しずかに、内をむいている日。

そして、その「そうじゃないこと」も、ほんとうは、とても、すてきなことなのだと思う。元気なことだけが、よいのではない。しずかであること、それ自体が、ゆたかな、ひとつの在りようなのだ。

外へ、向かうベクトル

学校は、どうも、外へ向かう力が、強い。

はっきり話そう。みんなの前で、発表しよう。元気に、前へ。——外へ、外へ。声を出し、手をあげ、まわりと関わっていく。それは、大切なことだ。でも、その力ばかりが強いと、内へ向かう子は、どこか、置いていかれる。「もっと元気に」「もっと積極的に」。そのたびに、しずかなその子は、自分が、足りないように、感じてしまうかもしれない。

ベクトルは、外にだけ、あるのではない。内へ向かう矢印も、おなじだけ、大切なはずなのに。

内へ、向かう時間

自分の心に、ひたる時間。

うまく言葉にならない何かを、心のなかで、ゆっくり、あたためている時間。外には、何も出てこない。手も、あがらない。声も、出ない。でも、その内側では、たしかに、何かが、育っている。——そういう時間を、学校は、どれだけ、持てているだろう。ゆったりと、自分の内へ、向かう時間を。

ぼくは、そういう時間を、大切にできる学校にしたい。教室にしたい。元気な時間と、おなじくらい、しずかな時間を。外へ向かう子と、おなじように、内へ向かう子を。

難しいかなあ

ゆったり。自分の心に、ひたる。そんな時間。

言うのは、かんたんだ。でも——難しいかなあ、と、正直、思う。時間割はつまっている。やることは、たくさんある。「ぼんやりしている時間」を、学校は、なかなか、ゆるしてくれない。ぼく自身、あの子に「どうした?」と、声をかけそうになった。しずかさを、そのままにしておくことは、思うより、ずっと、むずかしい。

それでも、あの日、「どうした?」を、飲みこめた。その子の、しずかな時間を、そっと、そのままにしておけた。——たぶん、できるのは、そういう小さなことから。まずは、ぼくが、あわてないこと。内へ向かうその子の時間を、足りないものとしてではなく、ゆたかなものとして、見られること。難しいかなあ。でも、そっちのほうへ。