プロフィール

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SENSEI NO SHIGOTO

教室で子どもたちと過ごしてきた日々のなかで、考えたことを書いています。ゆっくり、ひとつずつ。

分かる、たびに

子どものころ、海の音を、ただ、きいていた。

意味なんて、なかった。ただ、ざざん、ざざん、と、よせては返す音を、いつまでも、きいていた。——いまは、どうだろう。「波の音だ」と、すぐに分かる。分かって、通りすぎる。あのころ、あんなに満ちていた何かは、どこへ、いってしまったのだろう。

分かる、たびに

頭で分かるたび。分かった、と思うたび。ぼくは、何かを、忘れていっている気がする。

ひとつ、言葉をおぼえる。ひとつ、仕組みを知る。「ああ、そういうことか」。——そのたびに、世界が、すこし、分かりやすくなる。でも、おなじだけ、何かが、こぼれ落ちていく。もっと、もっと、大事なこと。いや、大事「だった」こと。分かる前には、たしかに、そこにあったのに。

分かるというのは、ほんとうは、手に入れることではなくて、何かと引きかえにすることなのかもしれない。

取りに、行かなくちゃ

だから、思う。それを、取りに行かなくちゃ、と。

分かる前に、あったもの。こぼれ落ちていった、大事なもの。もういちど、あの、満ちていた世界のほうへ。——でも、その方法が、分からない。どうすれば、取りもどせるのか。どうすれば、あの感じに、もういちど。

そこまで考えて、ふと、立ちどまる。方法を、求めている。——そのこと自体が、もう、違うのかもしれない。

方法を、求める時点で

方法。手順。やり方。

それもまた、ぼくが、どこかで「分かって」、「分かった」と思ってきたものだ。ものごとには、方法がある。正しいやり方がある。それをつかめば、手に入る。——その考え方の、まさに、まんなかにいながら、ぼくは、「分かる」の外へ出ようとしている。出口を、「分かる」やり方で、さがそうとしている。

おかしなことだ。でも、たぶん、これが、ぼくたちの、くせなのだ。何でも、分かろうとする。つかもうとする。方法にしようとする。そうやって、いちばん大事なものから、すこしずつ、遠ざかっていく。

風の声、海の唄

分かることで、見えなくなるものが、たくさん、ある。

風の声。海の唄。星の、ささやき。——「風がふいている」と分かった瞬間に、風の声は、きこえなくなる。「波だ」と名づけた瞬間に、海の唄は、やんでしまう。分かる、ということが、いちばんゆたかなものの前に、うすい膜を、はってしまう。

子どもたちは、まだ、その膜のない世界を、生きている。風の声を、ほんとうに、きいている。海の唄に、ほんとうに、ひたっている。ぼくが、とっくに、分かって、通りすぎてしまった、その世界を。

きき方を、忘れただけ

取りもどす方法は、たぶん、ない。方法をさがすことが、違うのだから。

ただ、ときどき、分かるのを、すこし、やめてみる。名づけるのを、少しだけ、おくらせてみる。「波の音だ」と言う前に、もう一拍、ただ、きいてみる。——それくらいしか、できない。でも、それだけで、ふっと、あのころの海が、もどってくる瞬間が、ある気がする。

ぼくは、たぶん、響きを忘れただけなのだ。風の声の。海の唄の。星のささやきの。子どもたちのとなりで、もういちど、その響きを、感じれたら。分かることの、すこし手前で。