せんせいのしごと
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よい、わるいの、むこう
よい学校にしよう。よい授業を。よい教育を。どれも大切な、まっとうな願い。でも「よくしよう」というとき、ぼくたちは、今の「よくないところ」を見ている。学びや教育には、「よい/わるい」とは、ちがう世界が、あるのではないか。ものさしを、そっと置いたとき、はじめて見えてくる世界がある。
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形にしたもの
点数や、賞のようなものは、わかりやすい。形になっていて、目に見える。だから、つい、それに手をのばす。でも、ほんとうのほんとうは、たぶん、そこにはない。それは、やっぱり、形にしたもの。そのことに気がついたとき、ぼくは、やっと、ほんとうのスタート地点に立てた気がした。そこから、こどもとの学びが、はじまる。
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その子にしか
ひとりの子が「せんせい、くもがわらってる」と言った。ぼくには、ただの雲だった。でも、その子には、たしかに、わらっている雲が、見えていた。その子にしか、見えないものがある。せかいは、ひとつだ。でも、ひとつじゃない。学校を考えるとき、どんな大地の上に立てるかで、その姿は、まるで変わってくる。
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こどもが、つくる教室
うつくしい教室。掲示物は、みんな同じ大きさの色画用紙。まっすぐに、等間隔で、貼られている。ひとつの乱れもない。きれいだな、と、たしかに思った。でも、しばらく見ていて、ふと、さびしくなった。この教室は、だれがつくったのだろう。ぼくは、こどもがつくる教室であってほしい、と思う。
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どこに、立つか
時間は、過去から未来へと一直線に流れている。ぼくたちは、あたりまえのようにそう思っている。でも、ほんとうの世界は、たぶんそれとは違う。学校の姿も、どの地平に立つかで、まるで違って見えてくる。「せんせい」にとって、いちばん大事なことのひとつは、たぶん、どこに立っているか、ということだ。
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世界に、立つ
あの子は、だれかのために、立っているのではない。ただ、自分の足で、自分の場所に、立っている。教えたのではない。育てたのでもない。その子は、はじめから、その子として、世界に向かって立っている。
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レンズを、とおして
せんせいをしていると、日常のすべてが、教材研究になる。同じ一つのものでも、教科の視点で見ると、見え方が、まるでちがってくる。ただ、それは、あくまでレンズをとおして見た世界。レンズをかけて見た世界と、はずして見た世界と、その両方を見ながら、今日も、授業を考える。
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考える、その前に
ふと、空を見上げたとき。その、あんまりの美しさに、はっと、心をうばわれることがある。子どもたちは、いつも、そうやって生きている。頭で、ものを考える、その、ずっと手前の次元で。ぼくたち大人にも、その「生」の次元に、ときどき、立ち返ることが、必要なのかもしれない。
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省察とあのとき感じていたこと
自分は、子どもたちにとって、いい先生だったのだろうか。思い返すのは、反省ばかりだ。でも、省察をすればするほど、あのかけがえのない日々が、少しずつ、別のものに書き換えられていく気がする。あのとき、たしかに感じていたこと。それ自体もまた、大切にしたい。
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まず、やってみないと
とにかく、まずは、やってみないと。パソコンも、AIも。鉛筆と消しゴムも、自転車も。どんな道具だって、まずは、使ってみないことには、始まらない。大事なのは、たぶん、その道具を「どう使うか」だ。