せんせいのしごと
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箱から、考えない
授業って、一つの教室で、みんなでやるもの。——ぼくたちは、そう思いすぎているのかもしれない。そう思うのは、あるころの自分の授業を、今になって思い出すからだ。
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「こども」ということば
「こども」ということばについて、考えることがある。ぼくたちは、あたりまえのように、この言葉を使う。子どもを守るために、子どものために、と。でも、この「こども」という一語には、たぶん、二つの顔がある。
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ふれられないところ
無意識って、とても大事だと思う。ふだん、あまり口にしない言葉かもしれない。でも、子どものそばにいると、この、目に見えない深みのことを、思わずにはいられなくなる。
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ことばって、呼吸する
子どもが書いた文章を読むと、大人の目には、どこか整っていないように見える。主語と述語がねじれている。同じ言葉が何度も出てくる。話があちこちへ飛ぶ。つい、赤えんぴつで直したくなる。でも、直す前に、少し立ち止まりたい。ほんとうに、それは「間違い」なのだろうか。
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沈黙って、すてきだなあ
沈黙って、すてきだなあ。そう、自然に思えたら、いいなと思う。ふだん、ぼくたちは、静かになると、なんだか落ち着かない。間があくと、埋めたくなる。でも、沈黙は、たぶん、埋めるべき空白ではないのだ。
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銀河鉄道の夜のこと
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が、好きだ。何度も、何度も読んだ。読むたびに、切ない。でも、その切なさのなかに、いつも、こどものゆたかな「生」を感じる。悲しいのに、どこかあたたかい。そういう不思議な読後感が、ずっと残る物語だ。
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「先生」にならないように
逆説めいた言い方になるけれど、せんせいは、「先生」にならないほうがいいのかもしれない。ときどき、そう思う。先生になると、役割のほうが、その人をつくりかえていく。
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せんせいのしごとは、ランニングに似ている
今日も、走った。走りながら、ふと思う。学校教育というのは、ある意味で、ランニングに似ているな、と。短距離走ではなくて、うんと長い距離を、こつこつ走っていく。それに近い気がするのだ。
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出合うということ
あの子は、何が言いたかったのか。もう卒業して、何年も経つのに、ふとした瞬間に、その顔が浮かぶ。ぼくは、あの子にちゃんと出合えていたのだろうか。かかわれていたのだろうか。答えは、いまも出ない。
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記録の中に、子どもはいない ―ともにいる時を―
先生の仕事で、自分がいちばん力を出したいのは、いつだろう。当たり前のことだけれど、それは子どもといるとき。でも、その当たり前が、案外むずかしい。気づくと、子どものいない時間のほうに、いちばん力を注いでいることがある。