せんせいのしごと
教室の日々のなかで、ぼくが考えたこと。ゆっくり、ひとつずつ。
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すでに満ちている
子どもの前に立つと、つい欲が出る。もっとできるように。もっと伸びるように。この子の、まだ見ぬ未来を思い描いて。それは、大切なことだと思う。でも先日、その願いを一枚ずつはがしていったとき、いちばん下に残ったのは、ずいぶん素
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柳
ずっと、風に吹かれる柳のようでいたいと思ってきた。かたく構えず、しなやかに。強い風が来ても折れず、ただ受け流して、また元に戻る。教室でも、職員室でも、そんなふうに在れたら——と。先日、そのことを教え子に話したら、笑われた
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「力」って
生きる力。学力。人間力。コミュニケーション力。非認知能力。そして「資質・能力の三つの柱」。 教育の世界は、子どもの成長を、ほとんど例外なく「力」の語彙で語ります。「生きる力」を掲げてから、まもなく30年。私たちはこの言葉
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雨の日には、雨の日の授業がある
雨の日には、雨の日の過ごし方がある。暑い日には、暑い日の過ごし方がある。窓の外が変われば、家での時間の流れ方も、自然と変わっていく。 授業も、そうなのだと思う。教室には、その日の天気がある。子どもたちの呼吸がある。リズム
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「うまい発問」の先にあるもの——子どもの思考は、誰のものか
先生たちのなかで、多く交わされる言葉は「発問」と「指導」。あの場面の問い方はどうだったか。どう切り返せば、もっとねらいに迫れたか。ぼくたちは額を寄せ合い、熱心に技術を磨こうとする。 けれど、その熱心さの足もとには、ひとつ
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事務とは何か——せんせいの仕事場から
「事務」という言葉は、どこか冷たく聞こえる。 書類、押印、期日、提出。そういう言葉と一緒に語られることが多い。先生の仕事の中で、最も「意味がない」と思われやすいのが、この事務かもしれない。 でも、本当にそうだろうか。 事
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『みんな同じ』をやめることから
特別支援学級に通う子どもの数がずいぶん増えた。インクルーシブ教育、という言葉がどこでも語られるようになった時代に、なぜ子どもたちの学びの場の「分離」は進んでいるのだろう。その問いに向き合うとき、ぼくはいつも、自分の教室の
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子どものことを記録するということ
年度末、引き継ぎの書類を書く。名前、特記事項、支援の記録。でも書き終えたとき、いつも思う。いちばん大事なことは、ここには書けなかった、と。 ことばにできない積み重ね 引き継ぎ書類には、「特別な支援が必要な子」「配慮が必要
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「せんせいの、待つ仕事」
子どもの前に立つとき、ぼくたちはいつも何かをしようとしている。声をかけ、問いを出し、次の手を考える。でも、「何もしないで待つ」ということが、ときにいちばん深い仕事になることがある。 待てない 授業中、子どもに問いを投げか
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わからないまま、そこにいる
せんせいは「わかっている人」だと思われている。でも、本当に子どもの前に立つとき、わからないことだらけだ。そして、その「わからなさ」を手放さないことが、もしかすると、せんせいの一番大事な仕事なのかもしれない。 わかっていな
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すでに教える前に
すでに主体として 教える前にすでに子どもたちは主体として生きているぼくたち教師の意識に先立って子どもはすでに主体として「いる」 思っているのと反対 もしかすると子どもは不完全なところがあって教師が導かなくてはいけないそん
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問い続けること
問い続けるせんせい 問い続けるせんせいで在りたい。子どもに対してじゃなく自分に対して。自分の在りかたに自分の思考に自分の心にいつも問いかけたい。 いつの間にか いつの間にか自分の考えていることを疑わなくなる。大人であれば
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せんせいの感受性
せんせいにとって必要なこと せんせいにとって なくてはならない感覚せんせいの感受性それは 子どもの痛みを 自らのうちに宿すこと簡単にいうと 何かあったときに真っ先に 子どものことを想うこともっと具体的な行動でいうと何かあ
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教材研究って
暮らしそのもの 教材研究は、日常の生活すべて何をしているときもそれぞれの教科の目で「世界」をみてるこどもたちに 見せたいなこどもたちに 問いたいな日々の何気ない暮らしが教材研究そのものってことそのことじたいを知っているっ
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子どもの声を聴く感覚
子どもの声を聴く感覚があるかどうかそれが「せんせい」にとっては とてもだいじ小学校で 大きな声で 元気に子どもたちの前に立てればいいわけではないどちらかというと 発することができるかではなく「聴く」という感覚があるかが大
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主体性を問う
主体性を問うこと自体に課題がある主体性は他者によって意味づけられるものではないだろう子どもはすでに主体として生きているすでに主体として生きている子どもを大人が見つめ 価値づけ その主体性を意味づけることはすでに主体として
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客観的という針の穴
みんな客観的が好き客観的な評価 客観的な視点 客観的なエビデンスでも そこには大きな問題が3つある1 本当の意味で客観的なんてものはない2 子どもを対象物としてみてしまう3 判断が偏る 1 本当の意味で客観的なんてものは
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教えることをやめたとき
「せんせい」にとって 教えないことも とっても大事難しけど とっても大事ひとりの子が、窓の外を見つめてたもうひとりは、鉛筆をじっと見つめてたなにも起こっていないように見える時間でも そこには確かな「 」があった それは
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そらを みあげて
きみが そらを みてたからぼくも そらを みた なんにも ないのにこころが ふわっと うごいた きみと そらがなにか はなしてた ← ホームへ戻る
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目的のない時間
学校では どんな教育活動にも 目的がある目標なんて言われたりする授業をするにも 行事をするにもゴールを意識して先生として 子どもたちに 指導?するでも 「せんせい」は本当の本当はそうじゃない次元にも目を向けてなきゃいけな
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ゆだねることで
つかもうとすれば にげていくまとめようとすれば ちらばっていく こどもたちは 風のようきまったかたちに おさまらない おとなは ときどき こわくなるうまくいかないと おもってしまう だから ぎゅっとにぎってしまう声を大き
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ことばのない おくりもの
なんにも いわなくてもそばにいるだけで うれしいときがある はなしをしない そのしずけさがまるで やさしい てがみみたいにこころに ふれてくる ことばが ないからたいせつなことが きこえる きみの ひとみかすかな いきを
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おしりがむずむず
子どもの頃の はじめての授業参観ぼくは 椅子に ちゃんと座っていられなかった大人になってから 母親に言われた反対を向いて 椅子の背もたれに両足をのせてたって今でも なんとなく そのときの気持ちを覚えてるその当時 母親は
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験さない(ためさない)
子どもが 自らの学びを 展開していくとき「せんせい」にとって大事なことそれは子どもを「験さない」ことだと思う 験す授業 先生は どうしても 子どもを験す験すくせがついているって言った方がいいかもそれは 自分自身が 験され
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方法をもとめる先生へ
「せんせい」にとってみんながみんな こうすれば うまくいくっていう方法はない「せんせい」もひと 子どももひとだから そのとき そのひと同士のなかでよい形を みつけていくことが たいせつ 必ずうまくいかない方法 反対に 必
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子どもは大きくなる
子どもは大きくなる大きくなるように ぼくらがコントロールしてるんじゃない子どもは、自分の想いで大きくなる先生は そんな単純なことを忘れることがある自分が育てているんだと子どもは、自ら大きくなる子どもは、自ら自らを育むその
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ぼくをととのえる
「せんせい」のはじめの一歩それは、「ぼく」自身をととのえること「ぼく」が笑顔で生きられるそんな「ぼく」の日々をていねいに紡ぐことていねいに つみきを積み上げるように なにより、コドモノまえを なにより、コドモノまえで何が
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タスクはひとつ
学校は、たくさんのタスクが山積みになっていく場所短時間で、たくさんのタスクが生じる子どもたちから、同僚から、保護者から短時間で、大量の情報、タスクがやってくるしかも、時間軸が長い業務も同時にこなしていかなくちゃいけないこ
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教材研究
教材研究って「せんせい」のしごとがあるでも、それってもう、しごとじゃない教材研究って 教材を研究することだけどほんとのところは どうだろう みるものすべて みるものすべて教材にならないかなって「せんせい」してるとそうなっ
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ととのえる
「せんせい」のはじめの一歩それは「ととのえる」子どもたちの学びの環境を「ととのえる」こと 子どもの視界 黒板は、粉がつきやすい黒板の下も白くなりやすい掲示物がいっぱいなんか情報がいっぱい子どもの視界を子どもの視界に入る世
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100点満点はいらないよ
100点はいらない 100点満点ってうれしいミスなくできるとうれしい自信が湧くでも、100点なんてないよ先生は100点を目指しちゃう100点なんてテストだけ 60点でいいよ ぼくは、60点くらいでしごとする80点とか、7
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あいさつって
学校に行った授業をちょっとだけみた休み時間に子どもたちが「こんにちは」って言ってくれたうれしい あいさつはさせるもの? あいさつは、「させる」ってものじゃないでも、学校ではたまにさせようとするあいさつもそうだけど、声をか
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〔詩〕なくなるって、ふしぎだね
きのうのことが きょうにはないでも こころのなかに のこってる おもちゃを なくして さみしくなったでも そのとき 「たいせつ」ってことを おぼえた だれかとけんかして ことばがなくなったでも あとで 「ごめんね」が う
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〔詩〕その子は もう
その子は まだ ことばをもたないけれどだまって 風のかたむきを知っている 朝の光のなかで すこしうつむきぬれた葉っぱを 一枚 ひろいあげた 大人の目には 遊びにしか見えないそれがその子の「いま」すべてだった かけがえのな
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あいさつ
あいさつはコドモノあいさつは社会にでて大切だからとかあいさつは人と人をつなぐものだからとかあいさつは人間関係の潤滑油だとか大人の論理であいさつを語りたくないあいさつは、スキルや社会的なツールじゃないあいさつはコドモノ子ど
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大人になる途中
子どもは「大人になる途中」じゃないでも、ときに大人は子どもを「大人になる途中」という存在として見てしまう見てないって思っても、どうしてもそういう目が働いちゃう 「今」という瞬間 「今」という瞬間を生きるかけがえのない一個
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コドモノ目
「コドモノ目」がキラキラしているっていう「せんせい」はそのキラキラを知ってる自分の目で見ちゃってる 客観的なエビデンスっていう狭くて分かりやすいものにとらわれるとキラキラ?きらきら?それって何ってなる証明できるのって?何
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ちゃんと、しっかりと
ちゃんと、しっかりちゃんとして、しっかりやろう抽象的で、何だか分からない大人が子どもに言いがちなワード何がちゃんとで、何がしっかりか大人の目からみた「ちゃんと」大人の目からみた「しっかり」大人の枠組みが強ければ強いほど大
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物の住まい
「物の住まい」って考え方は「せんせい」のしごとにとってとても大切物には、それぞれ住所がある帰るべき家がある物をちゃんとそれぞれの家、「住まい」に返すこと返すか、返さないかこれが「せんせい」のしごとにとっては想像以上の影響
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授業の準備
授業の準備は、時間的に難しいだって、一日の授業、5~6時間分を前日に考える時間ってある?ノートに計画を書いて、いろんなことを調べてそれをず~と続けるかなり、ハードモードのゲームみたい 授業の要を決める そんな時間のないな
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書類の整理
「せんせい」は書類の山に呑まれる事務的な書類が多い結論は、簡単、握っている手を開いて「捨てちゃうこと」 存在感を ぼくは、書類に存在感をもたせるといいと思ってる業務ごとにクリアファイルに入れて、「〇〇」って名前を付けてる
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大人になったら忘れられちゃうくらいがいい
風の便りで、大人になったあの子が、ぼくの話をしていたって聞いたいっしょに務めた年配の「せんせい」が、今、あの子と同じ職場で働いている自分の親くらいの先輩の「せんせい」から手紙があったあの子が、ぼくのことを話していたって大
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コドモノ主体性
子どもを主体としてみる 「主体性」って言葉を多く見る子どもの「主体性」が育まれていくためには結論、子どもを「主体」としてみるってことにつきると思うじゃあ、「主体」としてみるって、どんなことだろう 「子ども」という言葉 「
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「せんせい」の時間
時間を意識して時間を忘れる 「せんせい」のしごとは、タイムマネジメントが重要結論から言うと、時間を意識して、時間で動き、それが習慣化し、時間を意識していないようなんだけど、自然と時間で動いているそんな「時間を忘れている」
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コドモノことを「みる」
「みる」って大事 子どものことを「みる」って難しい見るんじゃなくて、観るのでもない診るのでもなくて、視るのでもない看るのでもない「せんせい」にとって一番大事なのは「みる」ことなんじゃないかなってそう思う 「みる」というこ
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コドモノことを語ろう
「せんせい」の楽しみ 職員室で、子どもの話をする「せんせい」の楽しみ今日、あの子はこんなことがんばったこんなことができるようになったコドモノ笑顔や涙を、学びを語り合うこんな楽しい時間はないときに指導しなくちゃいけないこと
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黙すること
先生って話をするのが好きぼくもそうでも、先生って話しすぎるたくさん教えてあげたくなるあの子のことを想えば想うほどでも、話せば、話すほど子どもたちの学びの機会をうばってしまう一時間の授業のなかで、一番話をしているのはだれ?
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空を見る子
子どもをみるってこと 子どもをみるって言葉がある子どもをみているかそれとも、みていないかそれだけで「せんせい」のしごとは天と地ほどの差が生まれる…ぼくは、そう思う あなたはどこをみる? 空を見上げている子どもがいる「せん
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諦めにも似た前向きさ
終わりのないしごと せんせいのしごとは、終わりがない定時になっても、やることはいっぱいあるそもそも、子どもたちの成長のためにするしごと今日、ここまでやったから、子どもたちの成長から考えて終わりとはならない「せんせいのしご
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「コドモノ」
学びは「コドモノ」ってこと 授業は「せんせい」がするものだけどそこで生まれる学びは「子どものもの」「コドモノ」なんだと思う。でも授業をしていると、指導案って言われるのかな自分の思っている授業の流れがあって自分が考えている
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「せんせい」の事務
好きじゃなかった事務 ぼくは事務があまり好きじゃなかっただって子どもに何かを教えることとは別のしごとだからそれでもていねいにはやってきたつもりだけどやっぱりどこかでせんせいのしごととはちょっと違うと思ってた似たように思う
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「しんらい」の種
どんな教え方でも、どんなことばでもそれがあの子に届くためには「しんらい」してもらっているかどうかが大切なんだろうなって思うぼくは「しんらい」している人からほめられたら うれしいし目の前に立ったら 気持ちがひきしまるし教え
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「せんせい」ってなんだろう
「せんせい」ってなに? 「せんせい」ってなんだろう。子どもたちを成長させる「しごと」?「せんせい」ってなんだろう。子どもたちの成長を支える「しごと」をする人?「せんせい」ってなんだろう。教員になって20年、ずっと考えてき